【復刻版 さきたま新聞ブログ】 三月 雛の月

2006年
 配送の仕事で車に乗っていると事故現場をみることが多い。前日には同僚がもらい事故に遭遇していた。トラックの運転席と助手席との間で口に出る話題は当たり障りのないものが多いが、時として重いものが紛れ込む。「家で猫を飼っているのは、動物を飼っていると家族の身代わりになってくれると聞いたせいもあるの」「それって、お雛さまと同じね。お雛さまが持主の女の子の無事を祈って飾られるのとね」「それは知らなかったな」。そんな話をしながら、成人式をすませたばかりの娘のお雛さまのことも頭をよぎったが、はじめてペアを組んだKさんとペット談義を続けた。
 彼女の家では今まで飼っていた猫六匹のうち、もう三匹が事故で死んだ。はじめに事故に遇った猫は、前足を切断手術した。しばらくは元気でイタズラ後の逃げ足のその速いこと。お尻で上手にバランスをとっていたらしい。その亡くなった猫のことを「動物って前向きよ。悩んでる様もなく自分の運命に従っている」と、Kさんは言い放った。息子さんが特定疾患の難病で長期入院していたと聞いていたせいもあり、そんなふうに感じられる彼女こそが前向きだと、私には思えた。「動物を飼っていると、特に子どもには、自然と教えられることが多いよね」、よく言われることだが、これにもまたしみじみ納得した。
 Kさんが飼ってきた猫はみな捨て猫だった。自分、子ども、ご主人、それぞれが拾ってくる。怪我をしていたら馴染の動物病院に連れて行く。雑種の犬もいるのだが、その犬は夕飯を食べに行った店の駐車場でよろよろしているのをみつけて、「どうしようか」と思案。車のドアをあけたら乗りこんできた。人に苛められたことがなかったのだろう。放し飼いにしている今も、時々脱走するけれども必ず帰って来て、人を吠えることもないというから幸せな犬だ。Kさんの家の様子や子ども達のことまで目に浮かぶようだった。
 ペットが身代わりになってくれると教えてくれた、犬の散歩仲間のお爺さんはお呪いのため、途切れることなく犬を飼っているらしい。Kさんは猫が事故に遇った際、子ども達に「今日危ないことをしなかったよね、車には気をつけようね」と確認し、難を拾ってくれた猫に感謝したという。仕事柄「交通安全」は切実な問題なのだ。それを聞き、軽率な物損事故を繰返した我が身を振り返り、動物こそ飼ってはいないが、私も何かに守られているのだと有り難く思われた。そう……久しぶりに思い出した私のお雛さまのことだ。
 実家には古い写真アルバムが何冊もある。写真の好きな父にとって幼い頃の私と双子の妹は恰好の被写体だった。その二冊目の最初が父が浅草で買ったガラスケースの中に一通り飾れるお雛さま。ケースの高さと初節句を迎えた二月生まれの私達の背丈が同じくらいだ。そのお雛さまは実家においたまま。娘が小さい頃は必ず帰省し母と私達、三代の女で雛祭りを祝った。歌の好きな母と私が「灯りをつけましょ、雪洞に……」と歌うと娘は上手に保育園で習った踊りを披露した。その箱の中にはダンボールの台紙があって、子ども時代の私の字で「○月○日、おひなさまを出しました……」等と数行ずつ簡単な記述がある。それにつなげて母となった私、つたないひらがな書きの娘の記録もあったはずだ。
 もう一つある雛祭りの思い出は、娘にも良く読んでやった「三月 雛の月」という絵本。私が子どもの頃、クリスマスプレゼントは本というのがお決まりで、そのうちのお気に入りの一冊だった。母と子の二人暮らしで長いこと紙のお雛さまで我慢していた女の子が主人公。その後なかなか実家にも行けなくなった。年取って気弱になった母に「暖かくなったね。こっちはお雛さまを出したよ、私のも出してあげて」と電話するのが常となった。
 娘のお雛さまは、父が浅草から送ってくれた優雅な顔立ちの親王飾りだ。一頃は傍らに保育園で作ったいろんな形のお雛さまをあるだけ並べ、梅の花と雛あられを供え、夜になると雪洞を灯して、賑やかな雛祭りだった。子らが大きくなると見向きもしなくなり、春浅い座敷で独りお人形に見入ることもあったが、写真だけは必ず撮って実家に送った。婚家では旧暦で飾るのが習わしだが、それを無視しながらもなるべく長く飾っていたくて遅くまで出しっぱなしにしていた。
 仕事でお雛さまの歴史や人形師の流れなどを調べたことがある。時代や地域による違いなど興味深かったのだが、一番印象に残ったのは、時をこえ受け継がれてきた幼子を思いやる真情。それが春の行事であることも胸に響く。桃の花、菜の花が咲く頃。春になったらと待ちわびる心。トラックからは一瞬に通り過ぎる蝋梅が満開となったよその家の庭先に、通り過ぎた幾つもの春がよぎった。

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