【復刻版 さきたま新聞ブログ】深谷シネマドキュメンタリークラブ発 自主上映のご案内とお誘い
2008年5月11日
いきる つなぐ いのち「ひめゆり」
記録映画が大好きな男女9人がこれまで自主上映してきたのは、一昨年1月の「こんばんは」に始まって、「ふれあう街」、「水になった村」などなど。今回取り組むのは、記録映画「ひめゆり」です。
この映画は沖縄の「ひめゆり学徒隊」の生き残りの方々を、柴田昌平監督が丁寧に記録。隊員は15才から19才の少女で、222人中123人が亡くなっています。その生存者のうちの22名を取材。80才を超える彼女たちの根っからの明るさ・やさしさ・生命への信頼感がベースになっています。
出演者は不特定多数へ流れることを嫌いDVD化を拒否したと聞いています。ぜひこの機会に、深谷シネマでご覧下さい。
なお22日は沖縄出身の父を持つ深谷市の中・高校生姉妹による三線ユニット「ゆん・ティー」がゲスト登場。時間は1.2回目の上映前です。
そして23日は沖縄慰霊の日に当たります。63年前の今日に思いを繋げてください。
【復刻版 さきたま新聞ブログ】今日はメーデー。
2012年5月1日
風薫る五月の、ロマンチックなイギリスの風物詩は、またもう一つの意味で、労働者のお祭りとなって、日本でも定着しました。
高校生の頃、電車で行楽に出かける私たち女子高校生のグループに、おじさんが「今日はメーデーで会社がお休みなんですか」と聞きました。学校の創立記念日で、みんなで高尾山かどこかへでかけたというのが、真相です。
ゴールデンウィークも後半戦。もちろん仕事の方もたくさん。
元気で、一人一人が声を出して幸せに暮らせる社会でありたいものです。そのような社会を築くために動いていたいです。
「メイストリーム」が吹き荒れても、そこにやがて美しい時間が訪れると信じて。今日も街中に飛び出します。
みんなに、ありがとうって言いたい気持ちで、いっぱいです。ああそういえば、もうすぐこどもの日、母の日だ。
【復刻版 さきたま新聞ブログ】ローズ
2010年3月9日
*ローズThe Rose/1979年米映画
雪が降った
春の雪。またまた降りました。今日の午後は、珍しく自室に籠もってパソコンに向かっていたのに、気がついたらぐっすり、熟睡していました。電話のベルで起き出して、ドアを開けたら、「あれ」、予報通りに降ったのですね。道理で外が静かだったわけです。
雪が降るといろんな昔の事を思い出します。そうそう土曜日の朝日新聞「Be」版の「雪の降る町を」の読み物もとっても良かったなあ。
子どもの頃からよく歌っていたこの歌。テレビドラマが生録りだった頃、最後にどうしても時間が余って、急遽その穴埋めのために即興でその場で吉田喜直が作曲して、歌詞をつけて歌われて大ヒット、その後手直ししたといういわれの曲ですって。フィンランドの監督が偶々聞いたこの曲を気に入って、映画のラストに流す曲に即決したそうです。歌詞の意味がわからなくても、その心が伝わって今日蘇った名曲。
雪には何か人の心に訴えるものがあります。
そして、もう一つ。
ベッド・ミドラーの「ジプシー」
週末にベッド・ミドラーの「ジプシー」という映画を観ました。人から貰ったビデオの山の中にあったモノですが、心に残りました。ジプシー・ローズという伝説のストリッパーの伝記を元にした作品です。歌が上手いなあ。
そして思い出したのが、やはり彼女が演じた「ローズ」。こちらはジャニス・ジョプリンを描いた作品。薄幸の名シンガーをソウルフルに演じていました。ずっと歳をとってからジャニスの評伝も読んだものです。切なかったな。
なんだか祈りたくなるような夜です。下は「ローズ」のテーマ曲。ちょっとこなれていないけど。懐かしいな。
ローズ
人は言う 愛は川だと
ひ弱な葦を押し流す
人は言う だからだよ
心がいつまでも疼くのは
人は言う 愛は飢えだと
終わりのない痛みだと
でも…私には愛は花
あなたはただその種
心は壊れることを怖れ
踊りを覚えようともしない
夢は目覚めるのを恐れ
運を試そうともしない
人は縛られることを嫌い
与えようともしない
魂は死を恐れ
生き方を大切にしない
夜が寂しすぎた時
そして、道が遠すぎた時…
あなたは思う
愛はツキだと…
仕方がないものだと
でも会うの 冬の最中に
冷たい雪の下に
種は太陽の愛を待ち
春にはバラを咲かす……
【復刻版 さきたま新聞ブログ】桜の下の自分に会いにゆく
咲いた 咲いた 桜が咲いた
2010年4月
掲載写真は2010年4月21日撮影
一仕事終えて、胸のつかえも何とかとれた、待ちに待った四月最初の週末でした。好天に恵まれて、この日にやりたいなと思っていたことはすべてクリアー。桜の花も一気に開いてポカポカした陽気のもとで、会いたいなあと思っていた方とはすべて会うこともできました。
土手の桜はあと一週間楽しめそうでした。土手沿いのギャラリーで観た創作版画は実にしっかりしたかたちを刻んでいました。色も褪せずに残っていた宝もの。大正の頃の青年のあついパッションに触れることのできる幸せにしみじみと打たれます。
透明感のある珈琲を戴いて「幸せな時間をありがとう」と呟いた喫茶店。マスターは何処で出会ってもいつも同じ顔で微笑んでいます。いいなあ。
石上寺は暫く行かない内に、本当に綺麗になっていました。熊谷桜は盛りを過ぎたけれども、石段脇で華やかに咲く大きな桜の木がピンク色に染まっています。星渓園脇の小径を行くと熊谷草が元気に葉を広げているのを確認できました。
熊谷寺も蜜柑と桃の花が青い空に映えます。大きな建物の新築工事や植木の整備もすっかり終わったのはいいのだけれども、物々しい囲いも新しくなって、門を閉ざしているのはちょっと寂しいかな。
星川の端に春の花たちが咲いています。今日行われた「駅からハイキング」に来た方でしょう、マップ片手に歩く人の姿も見受けられました。駅コンコースで「フローラル・フェスタ」物産展が開かれていたのも去年と同じ光景です。熊谷に初めて来たお客さま達にはこの街はどのようにみえたのでしょう。
今日は「駅からハイキング」も「熊谷ミュージックコレクション」もパスして、映画を観ました。本当は熊谷市のPR映画を観るつもりだったのですが、残念、昨日まででした。
……うーん、その時間に合わせてあちこち駆け足で回ったのだけれど、仕方ない。「NINE」を観ました。
この映画、とってもよかったです。映画の夢、男と女の愛、親子の愛、神への愛、創造すること・・・ そんなことが綴られた胸に突き刺さる映画でした。豪華な顔ぶれの女優陣の魂から絞り出すような歌と踊りの数々。衣装もロケ地もとびっきり素敵な「ビバ・イタリア」。モノクロとカラーの映像がフラッシュバックして、本当にワクワクするような夢の世界でした。それと同時に涙もこぼれました。愛は残酷。だけど、映画ってなんていいものでしょう。生きることがこわくなくなります。イタリアの伊達男と恋をしたいなあ。なんて、ちょっと不埒な気分になって、夜桜をみることもできました。
帰ってから少しワインを飲みました。これは一昨日から読み始めた「武器よさらば」の余韻。主人公はお酒ばっか飲んでいるんですもの。でも、飲んでからも家事もちゃんとやりました。その後でテレビをつけたら「美の巨人達」で平山郁夫のことをやっていました。途中からしか見られなかったけど、でもよかった! こちらは仏教との出会い。そして自分との出会い。
「自分で自分の道をみつけなさい」これは映画の中で、ママの役のソフィア・ローレンが言う台詞です。そうだよな。自分でやらなくちゃ。「大切なのは笑い、大切なのは愛、大切なのは夢」、そうだよな。春の夜が更けていきます。
【復刻版 さきたま新聞ブログ】 三月 雛の月
2006年
配送の仕事で車に乗っていると事故現場をみることが多い。前日には同僚がもらい事故に遭遇していた。トラックの運転席と助手席との間で口に出る話題は当たり障りのないものが多いが、時として重いものが紛れ込む。「家で猫を飼っているのは、動物を飼っていると家族の身代わりになってくれると聞いたせいもあるの」「それって、お雛さまと同じね。お雛さまが持主の女の子の無事を祈って飾られるのとね」「それは知らなかったな」。そんな話をしながら、成人式をすませたばかりの娘のお雛さまのことも頭をよぎったが、はじめてペアを組んだKさんとペット談義を続けた。
彼女の家では今まで飼っていた猫六匹のうち、もう三匹が事故で死んだ。はじめに事故に遇った猫は、前足を切断手術した。しばらくは元気でイタズラ後の逃げ足のその速いこと。お尻で上手にバランスをとっていたらしい。その亡くなった猫のことを「動物って前向きよ。悩んでる様もなく自分の運命に従っている」と、Kさんは言い放った。息子さんが特定疾患の難病で長期入院していたと聞いていたせいもあり、そんなふうに感じられる彼女こそが前向きだと、私には思えた。「動物を飼っていると、特に子どもには、自然と教えられることが多いよね」、よく言われることだが、これにもまたしみじみ納得した。
Kさんが飼ってきた猫はみな捨て猫だった。自分、子ども、ご主人、それぞれが拾ってくる。怪我をしていたら馴染の動物病院に連れて行く。雑種の犬もいるのだが、その犬は夕飯を食べに行った店の駐車場でよろよろしているのをみつけて、「どうしようか」と思案。車のドアをあけたら乗りこんできた。人に苛められたことがなかったのだろう。放し飼いにしている今も、時々脱走するけれども必ず帰って来て、人を吠えることもないというから幸せな犬だ。Kさんの家の様子や子ども達のことまで目に浮かぶようだった。
ペットが身代わりになってくれると教えてくれた、犬の散歩仲間のお爺さんはお呪いのため、途切れることなく犬を飼っているらしい。Kさんは猫が事故に遇った際、子ども達に「今日危ないことをしなかったよね、車には気をつけようね」と確認し、難を拾ってくれた猫に感謝したという。仕事柄「交通安全」は切実な問題なのだ。それを聞き、軽率な物損事故を繰返した我が身を振り返り、動物こそ飼ってはいないが、私も何かに守られているのだと有り難く思われた。そう……久しぶりに思い出した私のお雛さまのことだ。
実家には古い写真アルバムが何冊もある。写真の好きな父にとって幼い頃の私と双子の妹は恰好の被写体だった。その二冊目の最初が父が浅草で買ったガラスケースの中に一通り飾れるお雛さま。ケースの高さと初節句を迎えた二月生まれの私達の背丈が同じくらいだ。そのお雛さまは実家においたまま。娘が小さい頃は必ず帰省し母と私達、三代の女で雛祭りを祝った。歌の好きな母と私が「灯りをつけましょ、雪洞に……」と歌うと娘は上手に保育園で習った踊りを披露した。その箱の中にはダンボールの台紙があって、子ども時代の私の字で「○月○日、おひなさまを出しました……」等と数行ずつ簡単な記述がある。それにつなげて母となった私、つたないひらがな書きの娘の記録もあったはずだ。
もう一つある雛祭りの思い出は、娘にも良く読んでやった「三月 雛の月」という絵本。私が子どもの頃、クリスマスプレゼントは本というのがお決まりで、そのうちのお気に入りの一冊だった。母と子の二人暮らしで長いこと紙のお雛さまで我慢していた女の子が主人公。その後なかなか実家にも行けなくなった。年取って気弱になった母に「暖かくなったね。こっちはお雛さまを出したよ、私のも出してあげて」と電話するのが常となった。
娘のお雛さまは、父が浅草から送ってくれた優雅な顔立ちの親王飾りだ。一頃は傍らに保育園で作ったいろんな形のお雛さまをあるだけ並べ、梅の花と雛あられを供え、夜になると雪洞を灯して、賑やかな雛祭りだった。子らが大きくなると見向きもしなくなり、春浅い座敷で独りお人形に見入ることもあったが、写真だけは必ず撮って実家に送った。婚家では旧暦で飾るのが習わしだが、それを無視しながらもなるべく長く飾っていたくて遅くまで出しっぱなしにしていた。
仕事でお雛さまの歴史や人形師の流れなどを調べたことがある。時代や地域による違いなど興味深かったのだが、一番印象に残ったのは、時をこえ受け継がれてきた幼子を思いやる真情。それが春の行事であることも胸に響く。桃の花、菜の花が咲く頃。春になったらと待ちわびる心。トラックからは一瞬に通り過ぎる蝋梅が満開となったよその家の庭先に、通り過ぎた幾つもの春がよぎった。
【復刻版 さきたま新聞ブログ】私の早春賦
2008年3月3日
熊谷名物☆名物に美味いものあり☆
自分が好きなおいしいものは、おのずと人にもあげたくなる。そして、遠くの人にはなおのこと、「熊谷の顔」をすすめ、喜んで貰いたいし、その蘊蓄をひけらかしたくなる。昨日、ニシダ飴と中家堂へ行った。
○ニジタ飴……飴がこんな大瓶に入っていると、蜂蜜の好きなプーさんではないけれど、色とりどりの飴をみているだけでほんわか幸せな心持ちになる。なんだか昔聴いた「ウィニーザプー」の曲を思い出してしまった。
甘いものはどうして、人の心を慰めてくれるのだろう。そして、五家宝。その名の由来は諸説入り乱れ、太さも色々、お店もたくさんあるが、ともあれ、五家宝はおいしい。きな粉・砂糖・米の単純な組み合わせのハーモニーなればこそか。
このお店の最中は、四角くてずっしり重い。口の中で溶けるような薄皮の上品さと中身の粒あんのしっかりした甘さ。私御用達のチョコレート類は息子さんの担当だが、ホワイトデーもよ・ろ・し・く。
○中家堂……久しぶりにお店に入った。老舗中の老舗であり熊谷の表看板である。
四半世紀昔、こちらの地方へ嫁いで来た当初、何かというといただくお土産は、ここのお菓子のオンパレードだった。すぐに覚えた軍配煎餅・軍配最中。単純なのに一目で心に残る形と、一度食べたら納得の素直な味わいだ。
羊羹や飴などたくさんの品揃えと目で見て楽しい包装デザイン。化粧箱の中にはお祭の写真や昔の街並がわかる絵図などが入っていて、これもうれしいことの一つだ。
もうすぐ春ですね
先駆けの桜
熊谷桜……桜ファンクラブの会長である横田さん、その染色工房のお庭をのぞいてきた。
熊谷桜の花芽が、ほんの少しほころんでいた。寒いところにある木のほうが、わずかな春の気配を感じ取り、季節を先取りしている。暖かいところにある大きな木は、いまだ冬模様であるのに。そう教えて下さって、真っ直ぐにその一番乗りでほころんだ木のもとに道案内していただいた。
寒さに耐えた木の方が、少しの暖かさに反応して、健気に先駆けの花芽をつける。これって人生哲学! 桜守横田さんの含蓄のある言葉が胸に響いた。
第50回 埼玉・市民ジャーナリズム講座「今こそ輝け!地域ジャーナリズム」
2002年〈地域を創り・担う・開かれた郷土紙をともに〉と埼玉新聞サポーターズクラブ
通称SSC)が発足しました。それから18年。第一期活動後2014年に「埼玉市民ジャーナリズム講座」
スタート今回で50回目を迎えました。
、地域メディアはどこに、ジャーナリズムとは、市民が発信・創る「地域ジャーナリズム」など
メディア不信が蔓延している今日、多彩なパネラーとともに考えたいと思います。どうぞご参加ください。
日 時:2020年2月22日(土)13:30-16:30
会 場:市民会館おおみや第4会議室
さいたま市大宮区下町3-47-8
大宮駅東口徒歩15分
パネラーによる事例紹介や報告
・市民アーカイブ多摩(全国のミニコミ紙など資料を保存)
一橋大学院教授 町村敬志氏
・琉球新報記者(打診中)
・埼玉新聞社 編集管理幹 吉田俊一氏
・門奈直樹(立教大学名誉教授、「講座」代表)
・埼玉から:比企市民ネットワーク、 さきたま新聞
機関紙協会など、会場からも
参加費:800円(資料代)
※前日までの申込みの方700円
問&申:090-2173-2591 office@sai-tama.jp